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手仕事屋きち兵衛 車座 コンサート1

カテゴリー │イベント紹介

  今日4月3日行ってきました

  桜の花咲く掛川城の東側
手仕事屋きち兵衛 車座 コンサート1

    大日本報徳社  

近くにあるのに知らなかったすごいこと!
あるなー位の知識でしかなかったけれども
びっくり!
文化財に指定されたことも知りませんでした。


幕末から明治に至る日本の黎明期、二宮尊徳の唱えた報徳思想の普及をめざし、
道徳と経済の調和・実践を説き、困窮にあえぐ農民の救済をめざした報徳運動が
全国に広まりました。
尊徳門下の岡田良一郎の力強い指導による活動が盛んだった掛川は、
やがて全国の報徳運動の中核地となり、この地に「大日本報徳社」
が開設されたのです。
報徳運動の創始である二宮尊徳は幼名を金治郎といい、
少年期に両親と死別。以後、貧しい暮らしの中で勤労に励み、
倹約を重ねながら、かたわらでは独学で豊かな幅広い見識を育み、
やがては、全国各地の困窮した農村の救済にその手腕を発揮することになりました。
破綻した農村を救済すべく全精力を傾け、その行動から培った知恵を、
二宮尊徳が体系的思想として唱えたものが「報徳の思想」です。
報徳の思想は、たんなる説法や論理ではなく、江戸末期の日本の農村現実に
即した実践的なもので、理論は行動と一体をなし、
さまざまな生活様式(仕法)として体系化されて人々の暮らしに定着してゆきました。
人間の欲を認めながらも、しかし周りとたくみに調和させながら、
心も金も同時に豊かに育もうという、この優れた実践思想は、
やがて農村救済という枠を大きく超えて幅広い分野に浸透しました。
渋沢栄一、安田善次郎、松下幸之助、土光敏夫をはじめとする、
多くの事業家たちにも多大な影響を与えるなど、歴史的・世界的見地から
みても卓越して深遠な報徳の思想は、今も脈々と社会に息づいています。

(リーフレットより)


報徳の思想を形成する三つの柱は、
『勤労』、『分度』、『推譲』

『勤労』は、積小為大という言葉に代表される考え方です。
大きな目標に向かって行動を起こすとしても、
小さなことから怠らず、つつましくつとめなければならない
ということ。
「今まく木の実、後の大木ぞ」という
尊徳の有名な言葉が残されています。


『分度』とは、適量・適度のこと。
分度をしっかり定めないままだから、困窮してしまうし、
暮らし向きも楽にならない。
家計でも仕事でも、現状の自分にとってどう生き、
どう行うべきかを、知るということが大切だという考えです。


『推譲』とは、肉親・知己・郷土・国のため、
あらゆる方面において、譲る心を持つべきであるという考え。
分度をわきまえ、すこしでも他社に譲れば、周囲も自分も
豊かになるものだという教えです。


手仕事屋きち兵衛 車座 コンサート1
二宮 尊徳(にのみや そんとく、天明7年7月23日(1787年9月4日)
- 安政3年10月20日(1856年11月17日))は日本の
江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、「報徳仕法」と呼ばれる
農村復興政策を指導した農政家・思想家。
通称は金次郎(正しい表記は「金治郎」)。
諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と訓む。

なぜ学校の校庭にほぼ 二宮尊徳像がある理由がわかりました。
薪運びをしながらも勉強をしたからというところしか伝わってませんね。


掛川西高に通っていたのにこんなことも知らなかったのかと思うと恥ずかしいです。



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この記事へのコメント
 初めて書き込みさせていただきます。

 20数年来、きち兵衛さんの歌を聴いている者です。
 手仕事屋きち兵衛さんのコンサートの記事を、また載せてくださってありがとうございます。
 
 私は、このコンサートの企画をしたメンバーの一人です。
 掛川の住人ではないけれど、あの会場の来てくださった皆さんに会場の説明をした方がいいと思い、コンサートの前に皆さんにお話させていただきました。
 本当は、私の知る限りのもっといろいろなエピソードをお話したかったのですが、時間の関係で全てそぎ落とし、要点だけでもとお話させてもらいました。それでも、長くなってしまいましたね。
 (説明の中で、どうしても言いたかったことの一つは、明治期までの「経済」という言葉の意味です。現在の経済と言う語の概念とは全く違います。「経世在民」。そして、報徳のいう「道徳と、その経済」が同じ高さ・重さであるこということです。)

 ・先月3月1日、日経新聞に日比谷公会堂が出ていました。80年前の建物。その保存を指揮者の井上道義氏が提唱しています。この建物の外観が、報徳図書館とそっくりです。報徳図書館の方が2.3年古いと思います。ひょっとしたら同じ設計者ではないか?と。
 当時、流行の最先端のフランスで流行っていたアールデコスタイルです。図書館を見学させてもらい、照明器具は正にアールデコでした。(アールデコといえば、東京都庭園美術館内の旧朝香宮邸が思い浮かびます。)

 ・岡田良一郎の孫の一人が「ビルマの竪琴」を書いた竹山道雄(竹山純平の次男)です。(私は、その弟の謙三郎先生に「都市防災学」「住居防災学」を学びました。そのようなことから、その頃から掛川報徳社には関心を持っていました。)このことは、「エムズの片割れ」という方のブログの「ビルマの竪琴」の所にも大日本報徳社との関わりでで書きこみさせてもらいました。

 そのほか、お話しようとすれば色々出てきます。
 上記のようなことも、蛇足として皆さんにお話しておけば、地元の方は報徳社にも建物の保存にももっと関心を持ってくれたかとも思っています。
 (当日は、概要だけの話でしたが、関心を持つ一因になってくれたでしょうか?それなら、うれしいのですが・・・。)

 ところで、手仕事屋きち兵衛さんの記事を「エムズの片割れ」さんはたくさん書いておられますし、曲も聴けますので、そちらも覗いてみてください。

 それから、「手仕事屋きち兵衛 車座 コンサート2」が載るのを楽しみに待っています。
Posted by ジャン at 2010年04月20日 01:48
うっかり変換ミス。
 
 誤)「経世在民」⇒正)「経世済民」の略
Posted by ジャン at 2010年04月20日 02:06
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